
橋のたもとに、クリスマスバージョンの装飾をした三越が見えます。 |
|

「東京市道路元標」とあります。 |
 |
|
 |
 |
|
 |
| 橋照明の彫刻はいろいろあり、重厚感があります。 |
|
乙姫様がいる日本橋魚市場発祥の地碑
江戸時代からここに魚市場があり、広重の保永堂版や行書版にも魚屋が描かれているそうだ。 |
 |
|
 |
13:44 江戸橋を渡ります。
現在の江戸橋は関東大震災復興都市計画の一環である「昭和通り」の一部として新設されたもので、元の位置より60〜70mほど上流に架橋された。
|
|
日本橋郵便局が見えてきます。 |
 |
|
 |
13:50 「郵便発祥の地」碑
1871年4月20日郵便制度発足時に現在の東京中央郵便局にあたる東京の郵便役所が置かれたところである。
郵便ポストはグレーでした。マウスオン |
|
もうひとつの碑。
「前島密光生」とあり、下の文字は建立当時の郵政大臣迫水久常揮毫。立派な書体です。 |

13:53 「開運橋」橋柱。
楓(もみじ)川は埋め立てられありません。 |
|

橋柱は二本あり、こちらは紀元二千五百年
と見えます。1840年ですね。 |
| 1876年(明治8年)長さ15m、幅11mの石橋になる。関東大震災被災後1927年(昭和2年)鉄橋に架け替えられた際に橋柱は残されたもの。1962年(昭和37年)楓川の埋め立てにより橋は撤去された。(説明看板より) |
|
橋柱は中央区民文化財として登録されている。 |
 13:56 「銀行発祥の地」碑。
マウスオンで説明文
1873年日本最初の銀行国立第一銀行が創立された地。日本橋兜町4丁目にあり、今もみずほ銀行が営業中。 |
|
 |
|
|
13:59 「日枝神社」脇を通り、永代通りへ |
 |
|
 |
| 14:03 新大橋通りに入ります。 |
|
新大橋通りの鋪道は、自転車と歩行者の通路を区別するようになっています。
頭の上にも注意書きがあるのだ。マウスオン |
 |
|
 |
| 14:15 新大橋通り、本八丁堀を左折で「高橋」へでます。橋の袂のガソリンスタンドの看板はそのものズバリ「油」です。 |
|
14:17 高橋(マウスオン)は渡らないで、鉄砲洲通りに入りました。 |

14:20 中央区民文化財「鐵砲洲稲荷神社」
例年1月第二日曜日に寒中水泳大会が開催されます。
鐵砲洲の由来は、江戸の頃、大筒の試し撃ちをした場所とか、海岸に沿って鉄砲のような形の町に見えた等諸説があるのこと。
江戸時代に、米塩酒薪炭をはじめほとんどの消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきた。このため、鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護の神として全国に広まった。(神社HPより) |
|

富士塚は神社奥にあります。 |

鐵砲洲稲荷神社の「針塚」です。 |
|

神社のすぐ隣には公園が・・・
トイレもありました。 |
 |
|
 |
| 14:24 聖路加タワーが見えてきました。 |
|
14:39 「女子聖学院発祥の地」碑
江戸時代の灯台の形、照明部分に校章があり、素材の御影石は地の塩を表しているそうです。 |
 |
|
 |
14:40 「明治学院発祥の地」碑
”1877年、ここに開設された東京一致神学校を基とする”とあります。 |
|
14:43 「ヘンリー・フォールズ住居跡」碑
日本の拇印に興味を抱いたヘンリーは、発掘された土器に古代人の指紋を発見し、これにヒントを得て初めて科学的な指紋の研究を行い、1880年ネイチャー誌に日本から投稿した。これが世界初の科学的指紋法に関する論文となった。
日本は1911年指紋法を採用。 |
 |
|
 |
| 聖路加国際病院 |
|
「立教学院発祥の地」碑
”1874年ウィリアムズ主教が開く すべての人に仕える者になりなさい”とあります。 |
 |
|
 |
14:48 聖路加ガーデン セントルークスタワー
47階からの眺望、隅田川と勝鬨橋
この展望台は無料で180度の展望。 |
|
15:07 あかつき公園内、シーボルト胸像
娘のイネが築地に日本初の産院を開いたこと、シーボルトも日本の蘭学発展に寄与したことなどからこの地に建立。胸像はオランダ、ライデン大学他の協力により中央区に寄贈されたもの。画像クリックで説明板へ。 |
 |
|
 |
「電信創業記念碑」 画像クリックで説明板へ
”1869年横浜裁判所と東京築地運上所内に設けられた「傳信機役所」を結ぶ約32kmの電信線架設工事が開始され、同年12月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電信通信の最初である。”とあります。 |
|
15:16 築地市場
勝鬨橋のたもとです。
このあたりは魚のにおいがします。 |
 |
|
 |
「かちときのわたし」碑 「かちとき」は勝鬨
1906年(明治38年)、日露戦争の旅順陥落を祝って有志が「かちどきの渡し」という 渡し船の施設を作ったのが由来。
資料館の看板はマウスオン |
|
橋自体は1933年(昭和8年)着工、1940年(昭和15年)に完成
かちときの渡しの船着場は、現在の築地場外市場の波除神社あたりにあったのだ。 |
 |
|
 |
15:21 月島に渡ります。
橋には沢山の照明装置があり、夜間のライトアップはきれいです。隅田川を行く観光船からも見えます。 |
|
勝鬨橋が跳ね上がったときの様子
橋の中央分離帯境目には、橋開閉の様子、
4段階がこのようなすかしぼりで飾られています。
|
 |
|
 |
勝鬨橋の中央、跳ね上がる部分
1970年(昭和43年)までは、1日5回20分ずつ開いていたが、その後交通渋滞問題などで2度と開くことはなくなりました。 |
|
「にしなかばし」
勝鬨橋を渡ったら、交番の角を左折し、にしなかばしを渡ります。 |
 |
|
 |
西仲橋から隅田川方向
お座敷舟が沢山繋留されていました。
水門を出ると隅田川。 |
|
15:35 月島西仲商店街到着
もんじゃやさんばかりで驚きます。
もんじゃを食べたあとは口内のうわあごを火傷していました。 |