東欧のたび T  1990/09

リヒテンシュタイン インスブルック ウィーン ブダベスト プラハ ベルリン

1990年夏期休暇を使い、ウィーンからブダペスト、プラハ、東ベルリンなどを廻りました。
画像はフイルム写真をスキャンしたものです。

1990/09/10
チューリッヒのHorgen駅から列車。
スイスのポストバスでリヒテンシュタインに入りました。
リヒテンシュタインは公爵が元首の公国で、アルプスに囲まれ、世界で6番目に小さな国です。切手、銀行、ハイテク産業で有名な国です。 ライン川上流に位置し小豆島と同じ位で、「アルプスの少女ハイジ」の舞台にもなった地域。
通貨はスイスフラン、現在はユーロも使えるそうです。

リヒテンシュタイン城。
絵葉書から


郵便局の前にあった地図です。
郵便局は閉まってました。

切手2.75SFでした。

←バスからお城が見えました。
ポストバスの乗車券。
リヒテンシュタインの中心部
観光客が多かったです。
バスの停留所です。


列車でインスブルックに向かいます。
アルプスの山あいを走ります。

インスブルックは、標高 574m。アルブスの高峰に囲まれた、チロル州の首都。1964、1976年の2回冬季オリンピックが開催されました。

インスブルック駅です。
トロリーバスが市民の足。
インスブルック市内。通りの突き当たりは凱旋門です。1765年創建。

宿から見た、アルプスです。
凱旋門はこうです。絵葉書から
1990/09/12
インスブルックからウィーンに入りました。
ウィーンでは、シェーンブルン宮殿近くの領事館でチェコのビザを取りました。

左は、旧市街の中心地にあるシュテファン寺院。
12世紀半ばにロマネスク様式で着工、火災による倒壊で14世紀以降改築され、オーストリア最大のゴシック様式になった。
ウィーン72時間フリーパス券です。
使用開始時に入挟機で時刻をパンチし利用する。
市内の公共輸送機関全てフリーパスとなるもの。

オペラ座です。

ケルントナー通り
勇士の広場
ハンガリーとの国境駅。列車の出発待ち。
ここでハンガリーのビザをとりました。
日本人は我々4名のみであった。
警備員のような人にパスポートを渡し、タクシーで離れた場所に移動し、再びタクシーで駅までもどった。どうして駅で発行しないのか?このときの不安さは忘れられない。何しろ文字も読めないし、言葉もわからないし・・。
しっかり、タクシー代は取られましたよ。
ブダペストに到着。ウィーンに日帰りします。
建物は煤けて汚れていたし、排気ガスのにおいがひどかったです。今はどうでしょうかしら。
1990/09/13
共和国通り、名前は変わっているかもしれませんね。
ブダペストで最もきれいといわれていました。
9世紀、マジャール人がドナウ川の西にブダ、東にペストという街を築いた。
地下鉄の乗車券です。
エスカレーターの速度が速いのに驚きました。
エスカレーターから降りるときは吹っ飛びそうでした。
通貨はフォリント(Ft)。
エンゲルス広場 マーチャーシュー教会
ブタ王宮 国会議事堂かなぁ。

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ごらんいただき、ありがとうございました   

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